お待たせしました、「ボソボソ話」です。
「赤毛ものの謎」第2回
「誰も待ってないゾー」
ごもっともです。でもこう書き出さないと、なんだか落ち着かないのです。ま、定石とでもいうのでしょうか?(カッコつけるな!)ボソボソ話(第1回)について
この不思議をかなり以前から感じていたのに、放置したまま齢を重ねてきたことを反省し、考えてみることにしたのでした。
自然ってどういうこと?
ポイントは「不自然」にもかかわらず面白い、というところにあるのでしょう。とすると、どう見たって不自然極まりない舞台を観ているうちに、いつしか不自然が遠のき、なんか「自然」が近寄ってくると受け止めていることになります。この変化はどういうメカニズムで起こるのかを考えようというのが、第2回の企みです。
あ、嘘をついてしまいました。
いけません。アノヒトと同じになってしまいます。私は、言葉通り丁寧に説明します。クドイかもしれませんがね。
実はこのメカニズムについては、まだチラッとも考えていません。
第2回はその前、
私たちは「自然」という概念をどのように感知するのか、について考えます。これも実はあまり深く考察しているわけではありません。
しかし、私の心の中にながいこと住み着いている
「オヤヂ」くん
が大丈夫だと囁いているので、きっとなんとかなるはずです。
「オヤヂ」くんは、「オヤジ」ではありません。「親爺」とも違います。ご注意を願います。漢字表記のもつ威厳は彼にはございません。ちょうど「ラジオ」ではなく「ラヂオ」であるようなものです。「オリンピック」なんて軽薄なものでなく、「オリムピック」であるのと同じと考えてくだされば幸いです。厳格ではないが、かといって軽薄でもないと申しましょうか。
彼とはなが〜い付き合いです。小学生以来なのですから。だから古風なカタカナ表記です。そういえば「ウヰスキー」なんて、父親が書いてました。
ありゃ、脱線ですね。でもここで止めちゃうと、消化不良になりますので続けます。
「オヤヂ」くんはある日突然に
けっして都会ではありません。町という規模でもありません。ということは、彼の家は、とんでもない田舎なのです。バスすら走っていません。
なぜ彼の家に行ったかというと、自転車に乗れるようなって、ウレシクってオダッテいたのです。とにかく遠くへ行きたかったのです。
友達の家には不思議なものがありました。「藁フトン」。もはや誰も知らないでしょうね。綿ではなくて、フトンの中には稲藁が入っているんです。藁ですよ、ストローです。
そう、ジュースを飲むときのストロー。
あっ、もっと分からなくなりましたか?
昔は、本当にストローは藁でできていたのです。唾で濡れると吸えなくなりました。
私は初めて見る藁フトンに興奮してその上を飛び跳ねて遊びました。すると、彼の母にこっぴどく叱られました。藁でできているので小学生とはいえ体重でぺちゃんこになるし、中の藁が飛び出したりするのです。フトンが台無しになるのです。もの凄い形相に恐れをなしていたら、
「外に出るなーッ」
そこへ、彼の父が真っ青な顔で家の中に駆け込んできました。
「絶対に出るなよーッ!」
と再度叫んだかと思うと、家の奥から猟銃を手しにして、私の前を通り過ぎて外に出て行きました。真っ赤な顔で怒っていた友達の母親が慌てて玄関に「ジョッピン」を掛けます。
初めて生で鉄砲を見ました。なんとも不吉な黒光りを覚えています。そしてあまりの俊敏な一連の友達の父母の連係プレーに、私は着いていけませんでした。茫然としていると、友達が私を別の部屋の窓辺に誘いました。
そこで私は「オヤヂ」くんと対面したのです。
恐らく5〜8Mくらい先に彼はお尻を向けていました。生きた熊を見るのも初めてでした。興奮した私が窓ガラスに触った音で、彼が振り向きました。
その時、
「目が合った」
のです。ガラス越しではありますが。
一瞬でした。
鉄砲を手にした友達のお父さんの殺気を感じた「オヤヂ」くんは、身を翻して山の方に逃げていきました。ですから私と「オヤヂ」くんとの対面は束の間でした。が、彼の瞳が私に焼き付きました。私は動けなくなりました。1頭の熊と自分の父親の後ろ姿を凝視していたように、友人には見えたことでしょう。しかし、私は何も見ていませんでした。白目のほとんどない「オヤヂ」くんの瞳だけが目に焼き付きました。
「怯えた瞳」でした。
「怯えた」とは、私の勝手な妄想かもしれません。翌日に見た光景が、私に彼の目が「恐怖」を感じているように思い込ませたのかもしれません。今となっては確かめようがありません。
その日以来、今も「オヤヂ」くんは私のなかに住み着いていて、時々私の人生に口出しをするのです。ウルサいやつです。でも、私は彼を追い出しはしません。彼がいい奴だと知っているからです。
いつか彼の方から離れるときが来るかもしれませんが。
明朝小学校に行くと担任の小倉先生が、今日は4時間目に役場に行きます、とおっしゃいました。
「ヤッタァー」
勉強がなくなるのがうれしくって教室中大はしゃぎです。
4時間目、小学校の近くの役場に行くと役場の玄関の前の大きな木の根元に、真っ黒な物体が立てかけてありました。そう、それはまさしく立てかけてあったのです。
黒い塊がありました。一目で熊と分かりました。なにせ昨日見たばっかりなのですから。注意を促すために、役場の人が小学生にも見学させた方がよいと判断したのでしょう。
「デッカいな」「オッカナーイ」と反応する同級生の声が湧き上がります。
嫌な予感がします。その漆黒の艶に見覚えがありました。
「オヤヂ」くんでした。
声が出ません。
「ところで何でオヤヂなんだ?」って。それは、
「出てきた 出てきた 山親爺 笹の葉かついで シャケしょって スキーにのった山親爺 (札幌)千秋庵の山親爺 今日のおやつは山親爺 (札幌)千秋庵の山親爺」
という煎餅です。熊といえばこいつなんです、私の世代は。茶筒のようなケースに入った真っ黒い缶。最強のおやつでした。
閑話休題。
近づいて「オヤヂ」くんの正面に立ちました。
途端、昨日見た「瞳」が浮かびました。私は目の前の今は閉じた彼の瞳のあたりに先ほどから浮かんでいる像を重ねました。
いえ、違います。正確には重ねたのではありません。
「オヤヂ」くんの顔と向き合ったとき、何の前触れもなく昨日見た彼の瞳を思い浮かべていたのです。ここまでは嘘ではありません。
でも、私は自分から(自分の意思で)浮かんだ瞳を目の前の熊に重ね合わせたのではありませんでした。勝手にそうなったのです。
「ヤア」
「やあ」おずおずと私が応えました。
「ヨロシク」
「えっ!」
やっぱり「オヤヂ」くんです。彼はスルリと私の中に住み着きました。このまさかの再会以来、私は彼と伴にいます。
「スルリ・スンナリ」が自然の基本
お待たせしました!ながいながい昔話にお付き合いくださりありがとうございます。
これを書いたのは、この瞬間をわかって欲しかったのです。そのためにだらだら書いてしまいました。
漸く日本人が感じる「自然」、正確には日本語を操る人間の感じる「自然」に辿り着きました。
私が「オヤヂ」くんの瞳を目の前に熊に重ね合わせたのは、何の意図もありません。気がついたらそうなってしまっていたのです。人為的な操作は微塵もありません。
これが、「自然」なのです。
また、彼はスンナリと私の中に住み着きました。私も僅かな拒否反応もなく受け入れたのです。
余計なことを付け加えると、「オヤヂ」くんを仕留めたのは、友人の父ではなかったそうです。別の猟師さんだったと聞きました。
なぜかホッとしました。
「自然とそうなる」を気にする日本人
意図的な行為の反対側にある、「自然とそうなる」。もしくは「自然とそうなったように見えること。感じられること」それを日本人は大切にしてきました。
「えっ、なんでそんなことがわかるの?」
いい疑問です。ですが、長くなったので今回はこのあたりまで。日本人がどのように「自然とそうなる」ことに重きを置いてきたかを、次回は、
古文の「文法」を駆使して説明する予定です。
「えっ、文法!だる〜い。じゃ読まな〜い!」
「ハハハッ」
と力なく「笑はる(古文です)」
第3回へと続く。(ホントか?)
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