2017年8月21日月曜日

7/15・16 札幌の若手劇団サクラナイフを観ました

 サクラナイフ 『バベられパレード』
 旭川公演
7月15・16日 @まちなかぶんか小屋


 若い人たちが頑張っている姿は、気持ちのいいものだ。正直、芝居ズレしてしまった眼には、「オイオイオイ」と声が出そうになるのだが、そんなことを吹き飛ばしてしまう「表現したい」というエネルギーを感じた。





狭い小屋の利用法

ぶんか小屋は狭い。しかしその狭い会場を効率よく使う工夫がなされていた。なるほど、こうも使えるのか?と参考になった。とてもいい姿勢だ。芝居を定型的に観てしまう癖の付いたオヂサンには新鮮だった。

でももう一工夫した方がいいかも?

後方に設えた「壁」。ただの黒い布。壁そのものを作ってしまうと、他の装置とのバランスが崩れるので、壁を暗示する模様かなにかがあるといいのになぁ。「壁」はこの話の重要な要素でもあることだし。

 道具に対する「いい加減な姿勢」が見て取れた。残念ながら「いい加減」のシンプルさとは言い切れない。凝った装置だからいいわけではないが、また予算の都合もあるだろうが、その芝居の内容との関係を考えて、根拠のある装置作りを考えて欲しかった。





会話と独り言

漫画でいう吹き出しの中の台詞(通常活字で表記)が、メインストリームの会話です。一方、絵の中に書かれた作者の手書き文字が、独り言もしくは脳内or心中に浮かんだ感想を表しているのだろう。
 
 後者は通常台詞にならないが、今回の芝居ではボソッと言ってしまう。声にするのが悪いと言いたいのではない。それを表現するのは、サクラナイフにとって当たり前なのだろう。というか言わない方が気持ち悪いというのが、漫画やアニメに親しんだ人たちにとっては自然なのかもしれない。それを否定する気はない。






聞こえない台詞は客にとって不愉快

しかし、何か喋ったみたいだけれども、よく聞き取れないのは不満が残る。独り言なのだから小声になる。あるいは、舞台奥に向かって喋るため、耳を欹てていても内容を汲み取れない。

 もちろんメインストリームの会話の内容から想像は付くのだが、もしかすると違っているのかもしれない、という不安が度重なると客の身にはフラストレーションが蓄積する。

新しいスタイルをつくれ!

独話を言わずにいられないのなら、独話の文法を確立してほしい。それが定まるなら、新しい芝居のスタイルが生まれる。「サクラナイフ」色の芝居が誕生する。なかなか成功するのは難しいかもしれない。でも、自分たちが表現したいことを貪欲に追求していってほしい。



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