2017年6月5日月曜日

第1回 ボソボソ話。(劇評ではゴザイマセン)

 『Be My Baby』おもしろかったですよね?

 市民劇場、『Be My Baby』加藤謙一事務所に言寄せて


いつも単なる公演の「お知らせ」ばかりでした。今回は少しばかり志向を変えます。ひょっとすると「劇評」のように見えるかもしれませんが、

違います。


 そんな大それたものは無理です。
 じゃあ、何かと言われても困ります。
 強いて言えば、

思考の整理整頓


でしょうか。

 さて、ボチボチ始めます。といっても、前口上です。

何で書くの?(プロローグのようなもの)


ずっと前から気にはなっていたのですが、今回『Be My Baby』を観て、またしても昔馴染みの感慨が湧いてきました。で、いつものようにスルーすることに。
 ところが老い耄れの心が呟きました。

 「今ちゃんと考えないでいつ考えるのか?もう若くないのだゾ!」

 確かに大当たり。宜(むべ)なるかな。
 まもなく全電源、いや全認知能力を喪失し、思考能力ゼロになる違いない。その日は遠くないかもしれない。惚け惚けになる前にちゃんと考えておかないと、「今はの際」に戸惑ってオロオロするのではないか。

「最期に及んでみっともなく周章狼狽したくない!」

 それでこの際、ちゃんと考えておこうと。

 以上のような経過で書くことにしました。
 しかし、書くときめたのには、もうひとつ理由があります。誤解を与えないために、はっきりここに記します。

「私は、考えるために書きます」

 そうなんです。私はこれっぽっちの結論にも辿り着いていません。ですからこれから書くことが、いったいどこに行き着くのか、行き着かないのか、それさえもわかりません。

五里霧中です。

ゴメンナサイ。

 予め謝罪するに如くなし。

 つまり、このブログに書くことで、考えることから逃げ出しそうな自分を繋ぎ止めるという、実に卑怯で、かつ高度な作戦を思いついたのです。アハハ・・・。

 
 こんな声が聞こえてきそうです。

 「何が言いたいのか、さっぱりワカラン。肝心なことはなに一つ言っていないじゃないか!はやく言え!!何について考えるのか!!!」

 そこで、「薄汚い野次や印象操作は止めていただきたい」と申しあげたところ、

「お前さまは自分を日本で一番エライと勘違いなさって、非難されなさると簡単におブチ切れになり、質問にはなに一つお答えなさらず、相手に難癖をおつけになるか、同語反復を更に反復なさりかえってご自分が混乱され、ご自分のお間違えになった日本語を、わざわざ閣議決定までなさり、少しも間違っていないことでっち上げなさる✖️✖️総理サマでいらっしゃいますか?」

 という声が聞こえてきました。

素晴らしい!

 こういう指摘を野党の質問者や、✖️✖️官房長官の記者会見に臨んでいるのメディアの記者諸君に見習って欲しいものです。

        注:通常は「○○総理、○○官房長官」と表現するのでしょうが、
          とても○は無理と考え、✖️にしました。あしからず。


 何について書くのか、いや書きながら考えるのか。それは、

 「あんなに奇異な赤毛ものが、どうしておもしろいのか?



赤毛ものは不自然である

どう考えても、どのような視点で見ても、いわゆる「赤毛もの」は不自然です。典型的な日本人顔の役者が、「ドナルド」「ジョージ」「アン」「ヘレン」などの名前で登場するんですもの。


 名前だけでじゃない。地名だってあずかり知らぬ余所の国の地名のまま、恥じらいもなく演じられる。とてもじゃないがマンハッタンなど似合わない田舎侍が、ニューヨーカーだったりする。

 髪の毛だってきれいに染めるか、鬘の着用、私の目には不自然極まりない。客席で遠くから見ている時はまだしも、ポスターを見るとギョギョッと身が竦む。

 ただ、この点に関しては、お若い人からいい歳コイタ「ジジババ」まで、妙ちきりんな色に加工して、それを「オシャレ」という世の中だから、無闇に否定できないんですけれどネ。


 まあ、しかし、それでも不自然でしかない芝居なのです。

 なのに面白いんですね〜。
 
 今回の『Be My Baby』だって、冒頭のシーンは、うまく入り込めなかったけれど、いつの間にやら楽しんでいました。

 何でだー!!!

 という点について、次回からは、あらぬ方向にヨタヨタしながら、熟慮(ホントか?)していきます。
 少しだけ期待していただけると、ウレシイ。



 

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